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歴代所長挨拶

及川 陽1980.1~1983.1

私が第4代目の建設技術開発室の室長を拝命したのは、AS研が発足して10年たっていました。AS研設立の目的は、平たく言えば、当時全国ダイヤル即時通話化に伴い、必要な大量の建設工事が全国的に展開されるため、従来通信研究所、技術局、線路近代化委員会などが行っていた線路・土木・宅内の専門技術の研究を、つくば研究学園都市の一角に実験棟と屋外実験設備を作り、線路土木機械化施工部隊を常駐させて、問題解決のスピードをあげようとするものでした。

その後ひとまずアナログ通信の時代が終わると、役目を変えてアクセスサービスシステム研究所として、加入者光ファイバ(FTTH)のシステムのソフトや布設工法の確立に貢献しました。架空線路の耐震性の検討や膨大な電柱、管路、マンホール、洞道などのデータ(ビッグデータ)の処理および活用技術、工事の安全訓練など、この研究所の活用のしかたは、考え方によってはいくらでもあると思います。

柴田 明廣1985.11~1989.3

筑波が50周年記念を迎えられ、本当におめでとうございます。

私が所長を拝命した1985年は電電公社から民営のNTTとなった年で、組織改革で筑波の廃止も検討されて所長も一時空席で、半年後の12月にやっと着任した時には所員に大きな不安が広がっていました。そこで「現場に役立つ筑波になろう!」と私達の役割を再認識し、その後所員たちの懸命な努力もあり成果も着々表れて、NTTの中枢や現場からの信頼も高まって来ました。

88年の夏ごろ、眞藤NTT会長から“筑波で開発成果のシンポジュウムをやれ”とのご指示があり、早速準備を始めました。名称は「筑波フォーラム」として11月末の2日間、テーマは「現場の作業環境の改善」で、筑波だけではなく業界などの協力を得て、展示物やデモンストレーションなどを大々的に行うことになりましたが、秋が深まるにつれて昭和天皇のご危篤の報が連日報道され、Xデーを心配しながらの準備でした。

課題は展示やデモだけでなく、筑波としては初めての数千人単位の来訪者が予想されて、その運営上の問題も山積しており、所員たちは自分のテーマと共に、プロジェクトチームを組んで手探り状態で諸課題に取り組みました。

結果として眞藤会長を初め、NTTや業界の幹部の方々、現場の多くの人々など来訪者も想定を遥かに越えて、2日間で約7000名が来られて好評価を受け、筑波と現場との手応えを感じました。また最後の夜には「現役とOBとの集い」を開き、筑波関係者の絆も固めることが出来て、私にとって筑波の3年間は「挑戦と感動」の毎日でした。

涌井 裕1991.7~1995.3

つくばセンタ発足50周年おめでとうございます。発足以来アクセス系技術の研究開発を通してNTT、日本、さらには世界のITの発展に貢献されましたことに敬意を払います。

私がお世話になりましたのは今から約30年前のNTTが民営化され体制の大変革の最中でした。デジタル化、光化(FTTH)、サービス化、グローバル競争がすすむなかで 研究・開発体制について検討がすすめられていました。開発部隊と研究部隊の合流が行われかつ機能別組織に変えようとしていました。フィールド系システムについても同様で まず技術開発部隊と建設技術開発部隊を合流し、その後 開発部隊と研究部隊の合流が検討されました。名称もフィールドシステムからアクセス網システムへ変更し 研究・開発・現場実装支援そして研究開発へのフィードバックを一体で実施できる組織が出来上がりました。その過程の中で一番心配したのは「長い歴史を持ち、実績のある組織どうしの合体は、カルチャーの違いがあり大変難しく時間がかかるのでは」。しかし心配をよそに個性的で、協調的で、建設的な6人の部長さんの指導力で合体の良さを引き出しその心配を解決してくれました。研究部隊は開発部隊の課題解決力、行動力、実装力を、開発部隊は研究部隊の強い真理探究心、発想の豊かさ、理論的思考・知見を認め、期待しそれが一体感につながったと思います。

競争時代に重要なアクセス網マネージメント技術に必要なソフト技術が強化され、アクセス網システム研究開発体制の基礎が整い、その流れが無線部隊、伝送部隊の合流となり、AS研へと発展、世界に誇れる研究開発成果を多く発信出来たものと推察します。 これからもIOWNに向けての更なる活躍を祈念します。

石原 浩志1995.3~1996.7

AS研究所50周年記念おめでとうございます。先日、寄稿の依頼を受け何年経ったのか計算したところ27年も昔であることを知りました。27年の年月は大変大昔に思えました。一生懸命、過去の事象について思い出しなおしましたが、当時は光ファイバを導入するための技術的課題とその開発に頑張っていたと認識しています。特に、土木系技術と線路系技術はNTTの基幹設備であり、ハードがメインでした。そこに、管理技術、運用技術に必要なソフト系の技術を導入した思い入れもあります。

当時の通信はメタルを用いた有線が主力であったと思います。現在はスマホを中心に拡大したのには驚きを隠せません。わずか30年の間にこれほどの変化をするとはただただ、驚きです。これも、研究に従事された皆様の努力の賜物です。

今後もAS研究所がますます発展することを祈ります。

西村 憲一1996.7~1998.7

NTTアクセスサービスシステム研究所(AS研)開設50周年、おめでとうございます。私がAS研で仕事をさせて頂いた頃はちょうど半分の25周年。記念事業でNTTのロゴマークを本館建物と高層実験棟(当時)に付けたり敷地周囲に植樹をしたのを懐かしく思い出します。

折しもアクセス系への新規参入時期で、ネットワークのオープン化やNTTの分割・再編成論議が賑やかな頃でした。同時にFTTHのテイクオフ前夜でもありました。そこで、つくばフォーラムをオープンな場として産業界やオピニオンリーダーの方々にご参加頂き、高い目標や情報の共有・水平展開を行う場としました。グローバルな活動にも一層注力し、FSAN(当時)やOFC/NFOECなどの場を通してFTTH技術の標準化や普及を推進し、つくばフォーラムに海外の多くのお客様をお招きしました。本館前のたくさんの国旗掲揚ポールは、その時に増設したものです。

このような背景もあり、従来の伝送、線路、交換、無線といった技術分野別の研究所体制を抜本的に変えようという機運が盛り上がり、青木研究開発本部長(当時)の号令のもと現在のNS研、AS研、みらいねっと研の原型がスタート。つくば・横須賀・幕張・武蔵野・厚木間で社員の大異動もありました。

IOWN時代を目指してAS研の役割は益々大きくなっていくことと思います。開設50周年に当たり、改めて若い皆さま方の益々のご活躍と輝かしい成果を心からお祈り申し上げ、お祝いのご挨拶と致します。

白川 英俊1998.7~2000.6

AS研が50周年を迎えられたこと心よりお祝い申し上げます。

さて、ここでは2点当時の思い出を述べさせて頂きます。まずは研究所名についてですが、今まで以上にサービスの提供という視点・関わりを持って研究を進めていることを事業部門等にも理解してもらいたい、との気持ちを込めてアクセスサービスシステム研究所に変更しました。この名称が現在も続いているということを、私として誇らしく喜んでおります。

また私が赴任した当時、インターネットへの機運が高まっていた時で、その普及に向け光アクセス網実現への期待・要請が強くなっていた時期でした。当時研究所では実用レベルの技術を有していましたが、サービス提供上幾つかの課題がありました。この解決に向け、一部システム構成を変更する提案を行い、Bフレッツサービス提供に結び付けられたことを懐かしく思い出します。

最後に、AS研の皆様、今後益々のご活躍を期待しております!!

佐藤 登2000.7~2003.6

AS研50周年おめでとうございます。

私が所長をしていたのは2000年から2003年までです。

光分岐による光アクセス網の拡張、アクセス系光でのテレビ伝送、2.4GHzに加え5GHzによる無線アクセスといった正にAS研が大活躍の時代でした。現在、当然のように利用している通信環境は当時の研究者の皆さんの努力の賜であり、所長をしていた私としてもとても誇らしく思います。今更ながら研究者の皆さんに敬意を表するところです。

あと、通信技術の開発と並行して施工技術の開発を行っているという点がAS研の大きな特徴であります。地方で暮らしていますと空中に電線のない広い空と乱雑に電線のある空が混在しているのが気になります。電線の地中化を推進する技術開発を希望します。

これからもAS研が世界に役立つ研究開発にご尽力されることを期待しております。

篠原 弘道2003.6~2007.6

創立50周年、おめでとうございます。私がAS研所長を務めたのは、2003年から2007年の四年間です。AS研には多くの思い出がありますが、その後の私の考え方に大きな影響を及ぼしたのは連携の重要性です。FTTHの導入当初の課題の一つに宅内光配線の困難さがありました。ロス増を抑えるためには曲げ半径を小さくすることが出来ず、露出配線は作業が困難なだけでなく、見栄えも悪いものでした。当時の幹部が「何故、光ファイバーは直角に曲げることが出来ないのか?」という質問が全てを変えました。R部隊とD部隊の連携により、世界初の曲げフリー光コードが実現しました。これを契機に、AS研では様々な連携が起こりました。低摩擦光コードは環境研との連携で生み出されました。その他にも、ワイヤレス部隊と高速光伝送部隊、シビル部隊と材料部隊の連携など。NTT研究所の強みを活かすためには、連携が大切だということを学んだ貴重な機会でした。

佐久田 浩司2007.7~2010.6

建設技術開発室開室から、現在に至るまでの半世紀もの間、技術の襷をつなぎ続け、多くの成果を創出し、NTT事業、さらには国内外の情報通信の進展に貢献してきた、大勢の皆様に敬意を表します。

私が在籍していたのは、「光2000万、NGN全国展開」をスローガンに、NTTグループが、ブロードバンドNWの構築拡大に邁進している時期でした。NWインフラの多様な技術バックグラウンドのメンバーで構成されたAS研は、CAPEX、OPEXのさらなる削減にむけ、連帯して、NTT東西設備の新技術導入から、運用(トラブル対応含む)まで、種々の局面に参画していました。私自身、3ロケ(つくば、幕張、横須賀)に、武蔵野、大手町を加え、日々、首都圏回遊し、アルコール付きディスカッション(要は飲み会?)も含め、熱く語り合っていたことを強く思い出します。

そして、10年余が経過し、関係者のご尽力で、光NWやモバイルNW(WiFi含む)等の整備が進み、ONEネットワークインフラの位置づけで、新たなIOWN構想実現に邁進する時代になりました。来るIOWN時代においても、AS研の「いつでも、どこでも、つなぎ続け、設備現場を大事にするDNA」は、普遍的なものとして生き続け、現役の皆様には、その価値観を永続的につなぎ続けていただきたくよう、期待致します。周辺のAS研OBの皆様も、是非ご一緒に、重要な活動を支えて参りましょう。

作山 祐樹2010.6~2012.6

NTTアクセスサービスシステム研究所50周年おめでとうございます。お祝い申し上げます。

アクセスサービスシステム研究所が半世紀にわたり、日本そして世界の光ファイバ技術、ワイヤレス技術の研究開発をけん引してきた業績は、今日の通信環境を一変させ私たちの日々の暮らしを豊かなものにしてきたと思います。

私事になりますが、つくばで2度の勤務を経験しました。1度目は建設技術開発室時代のことで、途中NTT民営化があり筑波技術開発センタと名称が変更になったころです。そのころ世田谷とう道火災があり、今のスタンダードクロージャの開発を担当していましたが、とう道火災を契機に世田谷局をはじめ全国に導入・展開するという経験をしました。2度目は東日本大震災のころになります。所長として復旧の支援と災害対策向けのシステム・ツール類の研究開発とレジリエントな通信システムの検討に携わりました。いずれも寝食も惜しむような忙しさでしたが、懐かしくまた昨日のことのように思い出されます。当時の所員の皆さん、関係部所様、メーカ様、通建会社様などご協力いただいた皆様方には大変お世話になりました。お礼申し上げます。

豊かな社会の実現に向けて、FTTHを標榜し、アクセスネットワークの高度化の実現のために、先人の皆様方、現所員の皆様方が努力されてきました。今後も研究所のますますのご活躍ご発展を祈念しております。

久保園 浩明2012.7~2014.6

NTTアクセス系技術の研究・開発が1972年のスタートから50周年を迎えること誠におめでとうございます。全世界を巻込んだ新型コロナウィルス禍は未だ終息する兆しを見せませんが、この危機的な状況もひとつの背景にして、AS研が先輩諸氏の時代から世界に先駆けて研究・開発してきた光アクセスサービス技術・無線アクセスサービス技術が、社会のリモート化・デジタル化を支える社会基盤となっていることにAS研での研究開発に携わってきた一人として感慨と誇りを感じています。AS研の研究開発成果はその性質上厳しい環境下で利用されることも多く、耐久性や柔軟な保守性など、純粋な情報通信技術だけでなく材料物性から電気・電子技術に至るまでの非常に幅広い領域に亘る知見や実証が求められ、それだけに研究開発技術者としてもやりがいのある分野だと思います。AS研の今後の研究開発成果に大いに期待するとともに、益々の発展を心から祈念いたします。

天野 博史2014.7~2017.6

アクセスサービスシステム研究所の皆さん、50周年おめでとうございます。心よりお慶び申し上げます。

私事ですが1986年にNTT入社後、電話局での現場実習を経て本研究所の前身である筑波フィールド技術開発センタへ配属されて約4年間を過ごしました。そしてNTT最後の職場がこのアクセスサービスシステム研究所の所長で終えることが出来たのは光栄の極みと共に感慨深いものでした。

本研究所の特徴はお客様周辺技術について、ケーブル、伝送、無線、基盤、オペレーションまで非常に幅広分野の研究・開発を推進しているところです。その中でもコア技術を堅持しつつ建設技術から保守技術へ、固定通信からモバイル通信への適用等、時代に応じた研究開発を進めて数多くの実用化を実現してきた実績は研究者の努力の賜物であり、改めて敬意を表したいと思います。今後、NTTから推奨された「IOWN」導入に向けた具現化が行われるでしょう。その実現に於いて本研究所はリーダー的存在であって欲しいと願います。これから益々、不確実性の世の中になり研究・開発も競争の世界へ晒されることでしょう。研究開発を進めていくことは大変だと思いますが、世の中をもっと幸せにする、安心して住み易い世の中にすることを願いながらこれからも頑張ってください。以上を持ちまして簡単ではありますが、50周年記念に当たってのお祝いの言葉とさせて頂きます。

小林 正樹2017.7~2019.6

AS研の開設50周年、心よりお喜び申し上げます。メタル、光そして土木、無線、伝送、オペレーションと幅広い分野において、国内のみならず世界のアクセス分野の発展に寄与された先輩そして現役の皆さまに対し、深く敬意を表させていただきます。

私は2017年に着任しましたが、つくばセンタにおいては、ランドマークであった高層実験棟の解体という大きな環境変化がありました。高層ビルへのケーブル布設など数々の課題を解決してきた実験施設でありましたが、老朽化が激しく、利用計画も見込まれないことから、残念ではありましたが、撤去する運びとなりました。

一方で、ケーブル振動疲労実験場の更改や、巨大な砦のような架空構造物総合検証設備の新設など、新たなランドマークが完成しました。

在任中は「世界最先端の研究成果を現場最先端まで届けよう」をモットーに取り組ませていただきました。私は現在、NTTインフラネットで現場最先端の仕事をさせて頂いておりますが、弊社でも多数の成果提供を頂いており、あらためてAS研の技術力の高さを感じております。

今後のAS研の益々のご発展と研究者の皆さまのご活躍をお祈り申し上げます。